「〇〇先生は弱いから、きちっと面倒見てあげないといけないよ」、教育者が教育者にするアドバイスではない

「〇〇先生は弱いから、きちっと面倒見てあげないといけないよ」
教育者が教育者にするアドバイスとは思えません。
「相手の先生を心から理解する」と言う姿勢がなければ、問題は解決しないのです。
中学校教師、教育、ブログ、仕事術

先日友人と食事に行った時のことです。
後ろの席に、中学校の教師と思われる集団が4人で座っていました。
いや、「思う」ではありません。
話の内容から間違いなく中学校の先生です。
4人の先生の名前も私は覚えています。
聞きたくなくても、長時間ずっと大きなよく通る声が聞こえてきましたから。
4人の構成は、学年のリーダー的立場にある先生1人(A先生とします)、学年所属の先生2人(B先生、C先生)、他学年の先生1人です。
途中で「B先生が、同学年に所属する先生(初任者のD先生、この場にはいない)を、へこませた」という話になります。
理由は、「B先生がD先生の指導方法を厳しく指摘したから」というものでした。
悪びれもなく、むしろ、「自慢げに、指導してあげた的に」話しているようでした。

そして、リーダー的な立場のA先生が、ビールを片手に偉そうに言うのです。
「D先生は弱いから、きちっと面倒見てあげないといけないよ」
・・・衝撃でした。
教育者が教育者にするアドバイスではありません。
このような学年に所属しているなら、D先生は毎日泣きたくなるだろうな、と容易に想像できました。
D先生のことを本当に心から理解しているなら、決して出る言葉ではありません。
何の上から目線だろうと思いました。
「D先生は弱いから???」
D先生にしてみたら、本当に大きなお世話です。
「弱いから面倒みられている」なんて、決して思われたくないでしょう。
もし私がD先生の立場なら、絶対の絶対に嫌ですね。
ましてや、誰もに聞こえるような声で、会話のネタに、お酒も入って・・・。
4人はきっと、「D先生のことを考えて、いいことを話し合っている」と思っているのでしょう。
ここは、きつい言葉を使わせてください。
「バカ丸出し」です。

本気で、D先生のことを考えている人間がすることではありません。
そもそも視点が違います。
「弱いから面倒を見る」、私に言わせれば「はっ?????」です。
仮にD先生が本当に力を発揮できていないのなら、「どうすれば、D先生の力を発揮できるような学年の環境になるかを考える」のが一般的な視点でしょう。
そうするために深く深く思考するのです。
また、「へこませた」わけですから、「B先生が、D先生のエネルギーを奪っている」のです。
問題があるのはD先生ではなく、B先生です。

さて、リーダー的な立場のA先生が、取るべき行動は何かを考えます。
まずは、

・このような公の場でのこの種の話をストップすること。
・翌日以降にアルコールが抜け、しっかりとした判断力がある状態で話をすること。

ではないでしょうか。
そしてそこには、先に触れた

・「どうすれば、D先生の力を発揮できるような学年の環境になるか」という視点
・人としての優しさや強さ

が必要なのです。

このような4人の先生の前では、「D先生が社会人として強くなければならない」なんて視点は、くそくらえです。

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