まじめすぎる先生、頑張りすぎる先生に必要な「あきらめる力」

頑張りすぎる先生、真面目な先生、あきらめる
身近な教師に、
・まじめすぎる先生
・頑張りすぎる先生
・完璧主義な(100%じゃないと気がすまない)先生
・人目を気にしすぎる先生
・土日もずっと学校にいる先生
はいないでしょうか。
中学校教師
私もかつては、そのそうな教師でした。
「頑張ること」で、何かを示そうとしていました。
頑張ること自体が目的になっていました。

そんな時体調を崩し、1週間入院しました。
そしてある本を友人からもらいました。
それが、冒頭の
「人生を半分あきらめて生きる」 (幻冬舎新書:諸富 祥彦 著)
でした。
この本の中の

「あきらめないでがんばる」ことよりも、「あきらめたくないことを、あきらめる」ほうが、はるかにつらく苦しいこと

という言葉は、もっとも印象に残っています。
私は、常に「つらくない、苦しくない」選択をしてきたのです。

この友人は、私の良き友人です。
私の性格を理解した上で、この本を進めてくれたのです。
私の場合は、「あきらめること」の方が勇気のいることだったのです。
失敗体験が少なかった私は、
「頑張れば、何とかなる」
「あきらめたら負け」
のような、考えをもっていました。
学生時代からそうでした。
入院してこの本を読んで初めて、自分のそのような部分を受け入れることができたのです。

その時から、苦しんでいる知人に、
「頑張れ」
「何とかなる」
という言葉をあまり使わなくなりました。
また、仕事も全ての業務を100%でやることはなくなりました。
「ずっと学校で残って仕事をする」こともなくなりました。

「春野先生はどんな仕事も、100%で完璧だ」と言われることを「あきらめた」のです。
「ずっと学校で残って仕事をして何かを示す」ことも「あきらめた」のです。

それをしばらく続けていると、
「失敗してもいい」
「今は目の前のできることを、コツコツやっていくだけでいい」
と思えるようになりました。
不思議なことに、生徒も含めて話しかけてくれる人も増えたのです。

先日、大学時代の友人に5年ぶりにあった時も、
「春野、お前性格変わったな」
と言われました。
まじめすぎる先生、完璧主義の先生、頑張りすぎる先生
ただし、すべてのことをあきらめるわけではありません。
それではまた、息苦しい人生が待っています。
自分がどうしても100%を目指したい分野については、力を抜いてはいません。
まずは1つ、他の中学校教師に負けない分野をもつ

ある日失敗をして、放課後は泣いていた教師がいました。
しかし次の日、何事もなかったように元気よく「おはようございま~~~す」と、職員室に入ってきたのです。
今の教師に必要な資質です。
もちろん、落ち込むことにエネルギーを注がないだけで、しっかりと振り返りもします。
「なぜ、保護者に理解してもらえなかったのか」
「なぜ、あの生徒があのような行動をしたのか」
これは必ず振り返らなければなりません。
自分を振り返る時間がなければ、つらい体験も単なる「徒労」で終わる
「手を抜く」とは、意味が違うのです。

ただし、生徒に「あきらめる力が大事」とは言ってはいけません。
思春期の大多数の生徒には、やはり「頑張る」ことを伝えたいからです。
まじめすぎる先生、頑張りすぎる先生に対して、「あきらめる力」が必要だということです。

まじめすぎる先生、頑張りすぎる先生は、「人生を半分あきらめて生きる」 (幻冬舎新書:諸富 祥彦 著)を読んでみてください。

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